カクカクの北海道Uターン週記

「元」日本語教師 /「元」旧司法試験受験生によるカクカクの北海道Uターン週記

稚内ドライブ

 人は端を目指す。
 
 
 パンデミックのまさにその真っ只中で行われる五輪。この不思議な世界線あるいはパラレルワールドの混沌の中、私は少し早めの夏休みを取得し、端を目指すドライブ(2泊3日)を敢行した。

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 ルートはおおまかに水色のライン。往路は海沿いを、復路は内陸を走った(時計回りですね)。
 
 本道もこの夏は異常に暑く、例えば <札幌市で 18日連続真夏日*1> とか、<小平町で38.7℃を記録> とか、“史上最高” が安売りされるモノスゴイことになっていた(しかし、すでに過去形なのが北海道ですね。例えば今日の札幌は、最高気温が17℃だとか……)。
 
 
 6金の朝、オレンジ号で出発(左下の赤★)。ぐんぐん北上する。黒松内(くろまつない)でR5を左折、小樽を通り抜け、札幌をかすめて石狩へ。

 
 石狩には最近(今年4月)できたばかりのコストコがある。コストコファンのわれわれとしては是非行っておかないと、と思っていた。ワクチンも打ったし、平日で混まないだろう。何よりわが国では世界規模でみて最も大きいイベントのひとつ=五輪を開催している。そこまでヤバい状況ではないはずである。
 
 ……というエクスキューズの下、しかしもちろん万全の感染対策を施してお買物。意外と広さは大したことがなかった(調べてみたら、売り場面積は札幌店のほうがわずかに大きいのだとか)が、商品の配置が巧みなのか、デカいなあと思わされた。駐車場も広大な土地を生かしてだだっ広いし。
 ここでピザとアイスクリームで昼食とし、日本海を左に臨みながらさらに北上。途中、いくつかの道の駅にチェックインしたが、写真は38.7℃の小平町の道の駅=おびら鰊番屋(地図の緑→)。
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 夕方に留萌(るもい)のホテルにチェックインしたが、危険な暑さの中のロングドライブでバテたか、シャワーなど浴びている際は、フェリーの中かと思うほどぐらぐらとめまいが。セイコマのお弁当を、涼しくした部屋でいただいて初日終了。
 
 

 2日目は、留萌を出てひたすら北上。朝からやはり危険な暑さで(もちろん車内はエアコンを利かせていたが)熱中症気味かもしれなかった。というのは、まったく空腹感を覚えなかったから。朝ホテルで菓子パンを1個とヨーグルト半個を食べただけだったというのに。
 久々の稚内=(写真参照。地図のオレンジ←)に到着しても腹は減らず、私に付き合って何も食べていなかった妻は(ここでも)セイコマで軽食を。
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 稚内からは南下。最北端の宗谷岬(そうやみさき)にも行きたかったが、30kmほどある(つまり往復1時間ほどかかる)ということだったので、またの機会に(次のチャンスはいつかな(笑))。
 道の駅でスタンプを get しながら、旭川の “別荘” を目指す(別荘についてはこのブログに何度も書いていますね)。途中、士別では新しくできた道の駅=羊のまち 侍・しべつ(地図の黒↑)で、羊肉(サフォーク種!)の串焼きを(お陰さまでこのころにはやや食欲が回復)。
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 この「サフォーク」、道産子なら字面だけでも よだれもの。串焼き仕立てで羊肉を食べる機会は珍しかったが、美味いのなんの。クセもないしそれでいてしっかり羊肉の旨味が堪能できる。羊肉初心者にもおススメです。
 
 旭川の手前の当麻(とうま)の温泉で汗を流し “別荘” 着が1830ごろ。温泉に入る直前に空が怪しくなって稲光が走り、まさに土砂降りになった。30分ほど降ったようだが(ちょうど温泉に浸かっていた)それが天然の打ち水となって(道路からは湯気が立ち昇っていた)、雨上がりはありがたいことに涼しくなっていた。
 
 友人宅ではいつものように大ご馳走を、野球の金メダルを観ながら。ゆっくり休ませていただいた。
 
 翌朝は、これまた大ご馳走の朝食をいただき、札幌で行われたマラソンのゴールを見届けた後に出発し、その札幌の実家を目指す。
 途中、R12から少し入ってスタンプ未の道の駅にチェックインしたりしながらとことこドライブ。風は晩夏のそれで、空気がすっかり入れ替わっていた。両家に顔を出してから帰路につく。

 
 場合によっては途中の道の駅で車中泊も、と用意してきていたのだが、さほど遅くならずに帰れそうだったので一気に走り、無事に家に帰り着いたのが2130前。涼しかったので、長く走った*2割には元気だった。

 
 
 
 人は端を目指す。
 

 
 あえて不安定な場所に身を置くことによって、(さほど盤石でないにしても)日々の生活の安定を自覚したい、ということなのかもしれない。

*1:こうして文字にして改めて考えると、本当に信じられない事態である

*2:走行距離は、3日間で1,230kmほどだった