この日曜に、オホーツク網走マラソンにエントリー。人生初のフルマラソン に挑戦し、無事に 完走 することができた。最後の200mほどは、走っていて泣けた。中途半端な人生で数えるほどしか覚えたことのない 達成感 にむせび泣いたことであった。 今回は、走ることに集中していたため、レース中はもちろん、前後についても写真はほぼ撮っていない。公式ページ(こちら )を参照されたい。
レース前日の26土は早朝430には起き出して餅を中心とした朝メシ。数日前からカーボローディングとして妻が考えていくれていた。600に出発して北東へ。400kmほどの行程である*1 。途中で昼メシなども食ったわけだが、セイコーマート のおにぎりと焼きうどんなどを(やっぱり炭水化物なわけですね…しかしこのお陰で最後まで体力は十分だった)。写真は陸別(日本一寒いところですね)の道の駅で撮影。
網走には1300ごろ到着し、道の駅などでいったん落ち着いた。
その後、コースを(ミロ号で)回ってみた。3年前の大会(こちら 参照)では、お義姉さんのフルマラソン(と妻の5km)の応援*2 に来ていて、コースも記憶に残っていた。 網走刑務所付近を出発するのだが、5kmすぎから激坂となり、14~15kmあたり(能取岬)までは山登り区間。ここは歩き前提である(写真下は高低差の図)。
岬を過ぎればラクになりそうだが調子に乗って飛ばさないこと、29km地点には最も大きいエイドステーションがあるからそこで少し休むべき…などなどを心に刻んだのであった。しかし何だかんだ言って結局は、脚がいつまでもってくれるか である。痙攣したり攣ったりして走れなくなったら、オ・ワ・リ なのであった。 下見を終え、清里町のホテルにチェックインしたが、大変に広い部屋でゆっくりできた。温泉があったのだが、レース前日につき疲れてしまうのもよくない。何度も入るわけにはいかず、1回だけ。晩メシも昼に引き続きセコマメシとした。この日は中秋の名月(の翌日?)で、部屋の窓から真ん丸のお月様が見えた(右は斜里岳)。
翌日のレースの準備を整えて早く寝た。写真はレース中持参するべく用意したもの。3,000mgを筆頭に、各種ゼリー飲料や塩タブ、もちろん68番にMag-on。マグネシウムスプレーも。とにかく、脚攣り対策は万全、否、“億全” と言っていいはずであった。
翌朝、4時前に起き出す。このところ睡眠と腸活の意味でヤクルト1000 を飲んでいるが、そのお陰かぐっすりと(レース前に出すものも出せた)。会場にも余裕をもって到着することができて、まずは順調であった。
天気だけが予報が外れて雨がち。大した雨ではなかったが、スタート前は濡れたくなかったのでやや残念。雨は結局25kmあたりまで降っていたのではなかろうか。(使い捨ての)ポンチョを着ているランナーも多かった。 会場着後に一度小用を足したが、スタート前にもう一度行っておこうかなといったんは列に着いた。しかし、(大会あるあるだが)長蛇の列につき断念。テスト前もそうだが、何となくトイレに行きたくなるけれど大して溜まってはいないのである(結局20km地点にあったトイレに寄った)。 830に妻と別れ(彼女は応援ポイントへ)スタート列に並んだが、ほどなくガーミンからアラームが。ストレスが高い、深呼吸などせよと。トイレのこともそうだが、やはり緊張していたのかもしれない。昂ぶっていたことは自覚していた。数時間後には夢が叶うかもしれなかったのであった。 845 に号砲が鳴り、列が動き出した。スタート地点までは数分歩いたが、ラインをまたいだときにガーミンもスタート。いよいよであった。 繰り返すが、走れなくなったらオワリである。特に岬まではとにかく抑えよう。キロ8分を切らないようにしよう。
ジョグペースで走り出したが、周りは速い。どんどん抜かれていく…が、想定内である。沿道には多くの市民が出て声援を送ってくれている(妻もいた!)。しかし、あえてゆっくりゆっくり…と思っていたが、それでも、0-1kmは7分35秒 。途中エイド(カニ汁)があって歩いた3-4kmまでは7分台 だった。 実は、3km地点あたりでビリリと右脚に攣り気配 。これは10kmあたりで完全に攣ってしまうかも…と不安になった。それもあって、意識して歩幅を縮めてちょこまかと走っていたのだったが、結果としてそれはよかったのかもしれなかった。
ピリリときたすぐ後に、冷却スプレーをかけてくれる沿道の方を見つけてシューシューと。このスプレーはレース中、各所で5~6回はお願いできたが、極めて有効(もしかしたら一時凌ぎなのかもしれないが)。今後、携えて走ろうかなとも思った*3 。 例の激坂に差し掛かり、ランから歩きに切り替えた。それでも相当な上りであることに変わりなし(当たり前)。5-7kmはキロ9分台 となったが、なあに完走できればよい(68番は3回飲んだが、最初はこの辺で飲んだのかな。なお、Mag-onも3回補給。持って行った男梅も有効だった)。
この “完走” であるが、とにかく走って終わりたかったのである。2か月前の30kmレース(こちら )では、本当にとんでもなく辛いゴールだった。一歩進むのも大変で、10m先に辿り着ける自信がなかったレベル でキツかった。そのような事態だけは避けたかった。 走って終われたらそれで満足である。そのためなら、40km歩いたっていい(笑)、というぐらいであった。もちろんそれだと回収されてしまうのだが、制限時間に間に合う範囲でなるべくゆっくり(=脚に負担をかけずに)進む戦略だったのである。 8km を過ぎたあたりだったか、山道を上って(歩いて)いたら妻からLINE → 電話が。進んでいないようだが大丈夫かと。
この大会は、RUNNETのランナーズアップデート (リアルタイムで記録データを取り込み、インターネットで閲覧できるサービス)に対応しており、(いつものように自分で設定して)ガーミンで居場所を報せなくても、自分の現在地(位置)はわかるようになっている。その位置が動かないので心配になったというわけである。 リアルタイムで、と言っても時差もあるようで、ネット環境が悪かったか何かの小トラブルだったようである。歩いてはいるが進んではいる、攣り気味ではあるがまだ大丈夫。そのことを伝えられた。 このあと岬まではあまり記憶がないが、岬付近はグラベル。ぐるりと灯台を回ったらエイドである。この辺りは道幅も狭く、エイドの影響もあってごちゃごちゃと人が入り乱れていた。混雑を切り抜けて進んだが、ペーサー(6時間)を抜いたり抜かれたりしたのがこのあたりだった。確かこのあたりで、3,000mgをごくりと飲んだ。 その後、当初の目論見どおり下り基調となり、スムーズに脚が回るようになってきた。雨風も強くなってきつつあったタイミングだった(ちょっと寒くもあった)が、ちょうどトンネルに入った。
暗くて足元が見えづらくはあったがペーサーがライトで照らしてくれていた。路面はキレイで何より風雨の影響を受けずに済んだのはありがたかった。このトンネルを含む16-17km はほとんどベストラップだった(キロ6分34秒 )。 右に能取湖を望む比較的平たんな道を進む。ハーフマラソンを走ってきたんだな(20km でゼリー飲料赤 補給)。この先しばらく行けば、25km あたりには妻が待っているはずである…と、無事に出会えた。
二言三言話したが、立ち止まるでもなく妻を置き去りに。が、実はここは2km行って戻ってくる “盲腸” のようなコースになっている。つまり、4km走ると妻と再会できるわけなのだが、この4kmが長かった。少し上っては少し下るの繰り返しで、歩くことを余儀なくされた(しかし、今考えてみれば、攣り気配は収まってくれていたなあ)。 先ほどの地点に戻るとすなわち29km 。この先は、コース中最大のエイドが設置されているレイクサイドパークである。いろいろと飲み食いし、エイドを出る最後には水をかぶった。頭から柄杓で水を掛けてくれるサービスがあるのであった。
3年前(この日は好天で気温も高かった)、お義姉さんを応援に来た際に見ていて気持ちよさそうだなあと思った記憶があった。若者2人が気合とともに水を掛けてくれた。少し前に雨は上がっており、少し暑くなってきていた。 最大のエイドと書いたが、この大会は、RUNNETでの人気投票で 何年も連続して1位 を取っている超人気大会である。その理由の1つはエイドである。 思いついただけでも、カニ汁、しじみ汁、和牛ステーキ、ホタテのバター焼き、天カマ、ミルクケーキ、ひとくち黒みつ、いも団子、かぼちゃ団子、シャインマスカット、ミニトマト、ジェラート などなど。飲み物としては、2.5kmごとに水やスポドリ、ときどきコーラや牛乳、甘酒など 。例の浦臼のマラニック(こちら など)を超えるほどの量と質であった。 また、飲食以外にも、沿道にはモノマネエイド?(ギターとハーモニカの長渕剛、「パワー!」を叫ぶ中山きんに君、ラララライ体操をする藤崎マーケット、諦めたらそこで試合終了ですよのスラムダンクの寸劇、斜に構えてヒロシです…をぼそぼそ呟くスーツのお兄さん、登美丘高校ダンス部風のバブリーなおば様たち…などが、大いに笑わせてくれた。 中高生や東京農大オホーツクキャンパスの学生らも至る所で声を枯らして応援してくれて、それだけで感激である。マチを挙げての一大イベントなのであり、市民の郷土愛と誇り を感じたのであった。 レースに戻るが、そのレイクサイドパークでは、200mほど?妻が並走してくれ、彼女に見送られて漁港方面へ(30km でゼリー飲料青 補給)。そこを過ぎると、最もキツいと言われる35km 地点。コースはここからサイクリングロードに入る。
最後の上りもあったが、残り数キロとなると元気が出てくる。また、タイムはほとんど気にしていなかったが、このあたりからは、<キロ○分で走れば6時間を切れるな> 、などと計算もし始めた。脚は危ういは危うかったが、30kmレースのような状況には至っておらず、天に感謝した。 サイクリングロードを外れてゴール地点の大曲湖畔園地へ。もうあと3kmとかそういうところまできて、最後は遠慮せずに(攣ることを気にせずに)走ろうとギアを入れた 。
そこからはぐいぐい走った。スタッフはもちろん、ゲストランナーや先にゴールしたペーサーなどがハイタッチで迎えてくれた。私はこのレースで最も気持ちよく飛ばしていた(最後の数百メールはキロ5分40秒 ほど!)。 最後のコーナーを回ってゴールまでの直線に入ったあたりで、冒頭の「達成」が頭をよぎったのである。
60年を超えた私の人生を振り返ると、そのときそのときで必死ではあった。一所懸命に取り組んだことはウソじゃない。しかし、何かをやり遂げたことなどほとんどない。
そんな自分が、今、42.195kmを完走する のだ。大したことじゃないが、しかし、やり遂げたのだ。数十秒後の自分は、達成した自分 になっているはずなのだ。もう胸いっぱいであった(今考えれば大袈裟なのだが)。 アナウンスが聞こえる。「○○さん、Beat Yesterday!」。
エントリー時に記入したメッセージを読み上げてくれたのだった。そう、私は今、中途半端だった昨日までの自分を打ちのめして、フルスピードでゴールラインを駆け抜けたのだった。
VIDEO youtu.be
この瞬間、夢は叶った のであった。タイムは公式には5時間57分57秒 (=ネット。ガーミンだと5時間55分52秒 )。遅いわけだが、しかし、ちゃんと最後までたどり着いたぜ。 ゴール後も座り込んだが、攣らなかった。端野町のホテルまでの運転は妻にお願いしたが、途中温泉に寄った後はそれなりに元気になった。
翌日(有給休暇を取得した)はタイヤ交換の翌日的な筋肉痛ではあったが、その程度であり、自宅まで運転するのも問題なかった。 写真下は、翌日のリッチなブランチ(自分へのご褒美として)と、早めの晩メシ(同)。いやあ、食った食った。
というわけで、とにかくちゃんと走り切ることができた。神に、妻に、ただただ感謝である。
次のフルでは、サブ5.5 が目標である。来シーズンのために、冬場もきっちり脚を作ろうと思う……と、ちょっと待って。来月末はハーフマラソンがあるんだっけ(笑)。
240721
士別
2.0km
10分39秒
5分20秒
こちら
240901
石狩
5.0km
28分31秒
5分42秒
こちら
240922
オホーツク
10.0km
59分38秒
5分58秒
こちら
241013
栗山
6.25km
34分44秒
5分33秒
こちら
250601
千歳
ハーフ
141分35秒
6分42秒
こちら
250622
Fビレッジ
ハーフ
135分40秒
6分25秒
こちら
250713
士別
10.0km
56分03秒
5分34秒
こちら
251005
秩父別
10.0km
57分29秒
5分43秒
こちら
251102
フードバレー
ハーフ
131分42秒
6分14秒
こちら
260419
伊達
ハーフ
155分29秒
7分22秒
こちら
260517
NHP
ハーフ
139分25秒
6分36秒
こちら
260628
苫小牧
10.0km
58分28秒
5分50秒
こちら
260738
釧路湿原
30.0km
236分20秒
7分53秒
こちら
260927
オホーツク網走
フル
357分57秒
8分29秒