カクカクの北海道Uターン週記

「元」日本語教師 /「元」旧司法試験受験生によるカクカクの北海道Uターン週記

バブル

 3連休中日*1。オレンジ号の定期点検で神戸にドライブしてきた。
 早いもので、オレンジ号が我が家に来てから2年半(917日)。FITもFMCされるはずである(しかし、見た目は明らかにウチのオレンジ号の方が上。クルマは見た目です)。なお、写真はエクステリアモデル。
 
 
 神戸までは片道70kmほどの小ドライブではあるが、好天もあって気持ちいい時間だった(大きな渋滞もなかった)。作業の待ち時間はディーラー周辺を散歩したり、本屋で立読みしたり。帰りには久御山AEONのスタバでゆっくり。
 
 さて、ちょっとした社会現象になった半沢直樹が今日の放送で終了*2
 
 私は、まさにバブル真っ只中の88年入社なので、半沢氏とはやや時期がズレるのだが、微妙に重なっている。貧乏学生が社会に出たら急にリッチになったので、大人ってスゲーな、儲かるなと思っていたのだが、後から振り返ればバブルだったというわけである。
 
 入った会社は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったR社*3で、最も初任給の高い会社のひとつだった(4大卒で18万6千円)。私は営業職だったのだが、ノルマを達成するといくら、新規取引を結ぶといくらと、インセンティブが半端なく、それはまあバブっていた。
 配属となった北海道支社は札幌駅前にあり、自宅(豊平区西岡)まではタクシーで3,000円近く(深夜割増)かかったが、遅くなるとさしてためらいなく車を拾った(残業は鬼のように多かった)。早く上がれた日はススキノ(あるいは雀荘)で明け方まで。翌日が仕事であってもお構いなしである。
 さらに、シーズンになると月に2〜3度は朝野球*4→いったん帰ってシャワー後出勤という無茶ぶり。週末はゴルフ、冬ならスキー…若かった。
 接待も凄まじかった。1カン2,000円ほどする寿司を、腹一杯ゴチになったり振る舞ったり。今考えれば夢のような(いい、というわけではない)時代だった。バブル=うたかたとはよく言ったものである。
 最もバブリーな話としては、100億円単位のお金を動かした(動かしてもらった)ことがある(ある会社との契約のために必要があって、財務担当取締役に動いてもらった)。入社2年目だったかな。
 よく身体を壊さなかったものだと思うが、体調を崩したら3,000円のユンケルを飲んだ。仕事を抜けて病院で点滴を、なんていうこともあったっけ(遠い目)。
 
 半沢直樹つながりでバブル時代をちょっと思い出したのでした。

*1:もっとも昨日は出勤したし、自宅にも山のように仕事を持って帰ってきている

*2:実は上に書いた“立読み”中、原作(文庫本)を10分程度速読していたので、概ね筋は知っていた

*3:例の事件が発覚したのは私が入社した年の6月のことである

*4:私は3塁手あるいはショートストップだった。打てなかったが守備には自信があった。背番号は30…ファンだった江川にあやかった