ふわふわの北海道Uターン週記

「元」日本語教師 /「元」旧司法試験受験生によるふわふわの北海道Uターン週記

知命

 子曰、吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。
 
 今日は50歳の誕生日である。天命を知るどころかまだまだ惑ってばかり、もっと言えば、独り立ちしたとも言えないわけであるが、生まれて18,262日経ったことは確かなようである*1
 
 子どものころと違って、何となくウキウキ、という趣はないわけだが、それでもキリのいい誕生日なので、例年よりはいろいろと考えるところも多い。
 前にキリのよかった10年前=40歳の誕生日直前には、以下のような文章を書いている(少々長いが転載)。
 

 当たり前だが、人はそれぞれ自分の価値観を持っており、嗜好が異なる。例えば、鯛焼き。絶対に頭から食べる、という人もいれば、いや尻尾から、という人もいる(もちろん「そんなこたぁどっちだっていい」という人もいる)。それぞれの主張には、それぞれの理由があり、それぞれの合理性があるので、それぞれをそれぞれとして受け止めねばならない。
 
 さてそこで、腕時計である。世に腕時計マニアは多いが、私はそうではない。私の価値観では、信頼性、がキーワード。すなわち、
 
 1)狂わないこと
 2)止まらないこと  が最も重視される要素である。さらに、
 
 3)壊れないこと   が加われば最強、といえる。
 
 半ば引篭りの生活の私なので、腕時計が必要か、というとそうではないのであるが、試験(の当日)のことを考えると、何かいいのが欲しいなあ、と2〜3年前からいつも頭の隅っこに引っ掛かっていた。
 
 2か月ぐらい前だろうか、ふとしたことで、理想の時計を知った。つまり、狂わず、かつ止まらないというものである。つけ加えるなら、ケースはチタン製の丈夫なものであり、ガラス部分はダイヤモンドの次に硬い素材が使ってあるということで、壊れにくい(10気圧防水処理まで施されている)。私にとっては、まさに三拍子揃った夢の時計である。
 
 <狂わず、かつ止まらない>のは、いわゆるソーラー電波腕時計であるからである。どのぐらい狂わないか、というと、<誤差は10万年に1秒>。また、ソーラー発電ゆえ、<電池交換不要>なのである。極端に言えば、私が死ぬまで(死んでも、なのだが)ただの1秒も狂うことなく、電池交換の必要もない、ということになる(カレンダーも、2100年までは完璧に対応するとのこと)。まさに、日本の工業技術恐るべし!!ではないか。
 
 これは手に入れねばならないと、決意したモノ、それを先日遂に購入した。非常に高価な買物となったのだが、来月キリのいい誕生日を迎えるので、ちょっと早めのプレゼント、ということで思い切って購入に踏み切ったのである(なお、それまで使用していた時計=父からもらい受けた1969年製のセイコー=は下取ってもらった)。生まれて初めて腕時計を(自分のために)買ったことになる。
 
 実は、誤差についても電池交換についても、広告のコピーは少々大袈裟ではある。<狂わない>はあくまでも<電波を受信している限り>ということであって、環境によっては受信は必ずしもうまくいくわけではない。また、<電池交換不要>についても<二次電池の寿命内で>という話であって、太陽がなくならない限りは大丈夫、というわけではない。しかし、これらのスペックは、そうはいっても信頼に足るものであり、「俺は今、正しい時刻を生きているのだ」とか、「この一瞬をしっかり生きねば」などと気合が入ること請け合い。購入は大正解であった。
 
 というわけで、少なくとも時刻・時間関係についてはもう“惑う”ということのなくなった私。1か月早く、めでたく不惑の境地に達したというオチである。

 
 20歳の誕生日プレゼントにもらったジャンパーが今でも現役で、着るたびに(たとえ一瞬であっても)当時のいろいろが思い出される。
 そういう感覚は嫌いではないので、40歳の誕生日には、何か“一生モノ”を手に入れたいと考えた。司法試験受験生だったので、秒単位で正確な時計が必要である…というエクスキューズもあって、腕時計としたわけ(写真は今日撮ったもの)。
 
 秋の京都は観光のピークである。おまけに世の中は3連休で、飲食店勤務の妻は朝から晩まで仕事。必然的に、独りで過ごす連休となるが、今朝の朝食はケーキを用意してくれていました(ダイエット中につき、久しぶり!のケーキ)。
 

*1:因みに、あと4カ月ほどで「結婚するまで」と「結婚してから」の日数が同じになる