カクカクの北海道Uターン週記

「元」日本語教師 /「元」旧司法試験受験生によるカクカクの北海道Uターン週記

訃報

 高校3年時の担任の先生が亡くなったそうである。もう四半世紀も前のことになるが、当時は非常に世話になった。先生は生物の教師であり、私が生物を教えていただいたのは3年時=生物IIのみであるから、文系の私にとっては控えめに言っても「重要度の低い」、率直に言えば「どうでもいい」科目であった(共通一次で生物は選択したが、生物IIは出題範囲外であった)。昔のことなのでよく覚えていないが、授業時間はもっぱら「内職」に励んでいた(若しくはサボっていた)はずである。
 

 かかる事情で、少なくとも「生物II」については決していい生徒ではなかった私であるが、それ以外のことに関しては何かにつけて、よく褒めていただいた(皆の前で名前を出して褒めて下さることもあった)。卒業写真でも、私は先生の隣にいる。
 
 私は、いわゆる「エリート」の子が多く通うような、わりと名門の高校を出ている。庶民の子、というのは少数派であった(いうまでもなく私は“少数派”)。先生はバリバリの共産党員だったので(周知の事実だった)、そういう視点から目を掛けて下さっていたのかもしれない(かといって“多数派”を敵に回していたわけではない。生徒からは親しみを込めて「とっつ」という愛称で呼ばれ、人気があった)。
 
 私は大学に入るのに一浪したので、卒業後も事務手続などで何度かお会いしたが、大学の合格発表日(=後述)以後は多分一度もお会いしていない。しかし、電話では数回以上お話しさせていただいた(選挙の前になると掛かってきた(笑))。最後の電話は数年前で、その頃私はすでに司法試験浪人生活に入っていたのだが、力強い激励の言葉を掛けていただいている。
 
 話は前後するが、大学受験時に調査書?を提出せよということになり、2通必要と嘘をつき(私は国立一本しか受験しなかった)、使わない1通を開けて読んでみたことがある(調査書は「開封無効」なので)。もしかしたら、誰に対しても同じコメントが書かれていたのかもしれないわけだが、鋭く、そして温かい言葉が記されていた。今でもそのコメントは一字一句完璧に記憶している。
 
 一浪した年の合格発表当日、私は無事に合格していたわけだが、同じく一浪して別の大学に合格したクラスメイトY君と挨拶に行ったら、涙を流さんばかりに本気で喜んでくれた(私の合格はそれほど意外なことではなかったはずなのだが)。その後、先生とY君と私とで、前年現役で合格し大学1年生だったクラスメートK君の自宅に押しかけたのだが、先生はそこでこれでもかと大酒を食らい、ぐでんぐでんに酔っ払ってしまい、教え子の前で大トラとなって醜態を晒した……というのも今ではいい思い出である(先生はもともと飲兵衛であった)。
 
 
 実は一昨日、母方の伯母の訃報にも接した。
 生きることは送ることである。