あけましておめでとうございます。
あっという間に3が日が終わってしまった(笑)。休みというのはどうしてこう時間が速いかな…。
さて、戌年となった。母と義母がどちらも年女である(昭和9年生まれ)。今年84歳になるわけで、そりゃあ俺もおっさんになるわなと、改めて納得したところである。
いつものことだが、大晦日と元日は妻に仕事を休んでもらって*1ゆっくり過ごした。前回(16年から17年にかけて)は彼女が高熱を出して寝込んでいたので、紅白歌合戦終了後の初詣はキャンセルしたのだが、今回は無事に“夜中の散歩”を挙行することができた。
流石は京都だけあって、近所にもたくさん神社がある*2のだが、いつも行くのは首途(かどで)八幡宮→本隆寺*3のコース(いずれも、オレンジ号が停めてある駐車場よりも近くにある!)。しかし、今年は後者が工事中か何かでお参りは果たせなかった。ま、無宗教の我々にとっては、初詣=年が切り替わる際に行う散歩。特に問題はないのだけど。
大晦日のエントリーにも書いたが、今年は「(自分の意思でできることは)どんどん変革していく」、ということをテーマにしたい*4)。例えば、痛切に思うのが、もうずっと(中断を挟んで25年以上)服用している皮膚病の薬をやめたいということである(ステロイド系の塗り薬=劇薬=も“健康”の観点からはやめたほうがいいのであろう)。
写真は、左端にちょっと見えている青いのが塗り薬=クリーム(身体用)、白い瓶が塗り薬=液体(頭部用)、緑のカプセルが痒み止め、肌色のがチガソンカプセル(後述)。
前にも書いたが、私の病気は「尋常性乾癬(じんじょうせいかんせん)」という。大きい分類では膠原病の一種と言えなくもないらしい。去年、道端アンジェリカさんがこの病気に罹患していることをカミングアウトしてちょっとだけ有名になった。
身体(眼球と口唇以外のあらゆる部位=例えば爪なども)に症状が出る。具体的には(わかりやすく表現すると)“かさぶた”のようなものができる。最初はぽつりぽつりと小さい(直径5mmぐらい)のができるだけなのだが、次第に数が増え、また大きくなる(例えば5百円玉ぐらいに)。それが広がって、“かさぶた”どうしがくっつくといよいよ大きくなる。“かさぶた”は水平方向だけでなく、垂直方向にも広がる(“かさぶた”の上に“かさぶた”ができる)。“かさぶた”は場合によっては火傷の跡のようにも見えたりする。
というわけで、症状としては、“かさぶた”による見た目の悪さ(“かさぶた”はぽろぽろと剥がれ落ちるので汚いし、巨大なフケのようなので不潔なヤツだと思う人もいるでしょう)と、痒み(悪いときは痒くて眠れない)である。
皮膚病の薬=エトレチナート(商品名「チガソンカプセル10」)は、これらの症状をどうにかしようということで服用しているわけだが、副作用がしんどい。重大な副作用としては、子どもができなくなる(催奇形性がある。このため、薬を出してもらうには念書にサインする必要がある)ことと、高いこと(ひとつ324.2円)。その他にも(私に出ている副作用としては)、口の中が火傷している感じ(味がわからない)とか頭痛とか脱毛とか脂質異常症とか…。
私も悪いときは、背中一面が“かさぶた”に覆われていたし、今も下肢は“かさぶた”だらけである。ま、見えないところならいいのだが(温泉に入るときなどは、脱衣場で視線を感じるが)、顔中“かさぶた”になると、私のような厚顔無恥な人間でも人前に出るのが憚られるし、一般的には人と接する仕事は難しいかもしれない。顔でなくても、夏などに半そでが着られないのはツライ。
私のような中年男でもそうなのだから(私は髪をベリーショートにして薬を塗りやすくしてあるし、顔についてはひげを生やしてごまかしたりしている)、思春期の女性などは本当に大変だろうなと同情を禁じ得ない。
<思い切ってやめる → 症状悪化 → 再び飲み始める>の予定調和は目に見えているのだが、しかし、やめてみようかな…というようなことを考えたり。やはりここは、変えてみるかな。
…と、新年早々変な内容のエントリーとなりましたが、どうぞ今年もよろしくお願いします。