昨日が職場=日本語学校での最後の授業の日だった(授業そのものは、出張等がまだ少し残っている)。
学生からいろいろとプレゼントを頂戴したりもした。ヘンテコなブツ(一体どういうこと?と全く意味不明なものも。かの国の文化なのだろうか)もあった。
「人のいるところで開けない方がいいです」と謎の包みをくれた学生がいた。帰って開けてみると、確かに。…しかもその学生というのは若い女性である。う~ん、謎である(笑)
メッセージカードも多くいただいた。ほとんどは日本語がおかしかったが、しかしそれもオリジナルだからこそ。何かのコピペでない証左である(↑のブツも、本人の手作りだそうな)。有難いことである。
↑実物はこんなにニコヤカではありません
そして昨夜は同僚が送別会を催してくれた。妻が(最後の)帰道中ということもあって朝からほぼ絶食状態で臨んだ中華は、果たして大変美味であった。
人生で何度目かの 花束 をいただいたりもした。うへへ、照れるなあ。
本来、“みんなでワイワイガヤガヤ” というのは非常に苦手な私である*1が、リラックスして楽しい時間を過ごさせてもらった。
内地を離れること自体には、実はさしたる感興はない。未練がないわけではないが、“やっと帰れる*2” という思いが強い。
しかし、“日本語教師” でなくなることについては、いろいろと思うところがある。
足掛け四半世紀ほどこの仕事をしていたのだ(中断もあったけど)。書籍を整理したりしている瞬間に、やはり一抹の寂しさを感じてしまうのである…。
ま、そうはいってもまだ授業もあるし、京都を引き払うまで2週間以上はあるわけなので、感傷的になるにはちと早いですね。