カクカクの北海道Uターン週記

「元」日本語教師 /「元」旧司法試験受験生によるカクカクの北海道Uターン週記

福島

 夏休み、地球上で最も行きたかったところ=東北の被災地(福島&宮城)に行ってきた。
 
 当然ながらクルマで出掛けた。2泊3日、総走行距離1,908kmのドライブとなった。この間の平均燃費は約19.1km/L(1,000kmごとの燃費では、29,000kmから30,000kmの1,000kmで19.2km/Lを記録=従来の18.8km/Lを上回るパーソナルベスト)。
 地図上、赤矢印は京都、黄矢印は例の大川小学校である。往路は下側(内陸側)、復路は上側(日本海側)を走った。
 
 
 今回のドライブ、コンセプトは復興支援である。ま、財力も体力もない我々なので、できることと言えば、精々お金を使うことぐらい。せめて少しだけでもと、宿泊は2泊とも福島で。
 
 東に来ると、いつも“言葉”にホッとする。関西弁は未だに慣れないし、ずっと耳にしていると正直疲れる。やはり東の言葉は嬉しい…わけだが、ホテルの受付の女性(若くてたいそう美しい)の福島訛りがモノスゴイ。ああ、東北に来たんだな、と実感した次第。
 右の写真は、地元紙と宿近くのスーパーで購入した桃(やっぱり福島は桃ですね)。
 
 下の写真は、福島のB級グルメとして名高い円盤餃子と喜多方ラーメン
  
 
 “円盤”餃子というのは、上から見ると丸い=写真上右=かららしい。美味そうでしょ…しかし、そうでもない(失礼)。皮はパン風で、中の具はおから風。ニンニクたっぷりで香りはいいんだけど…。
 喜多方ラーメン(醤油を発注)も、スープがあっさりしすぎで実はイマイチだった。理想のラーメン=札幌ラーメンという方は、味噌の方がよろしいようです。
 
 これらもそうだが、減りすぎた体重をちょっと戻すべく、今回のドライブではガンガン食った。結果、1.5kg太った。このぐらいがいいところかな。
 ソースカツ丼と、例のボルガライスこちら参照)も載せときます(この両者は文句なく美味でした)。
  
 
 2日目、福島県から宮城県へ。北上しているわけだから、物理的に北海道に近づいているのであるが、仙台辺りからは、本当に北海道の“気配”がそこここに。全国区となっているニトリびっくりドンキーは当然ながら、ホーマック、ツルハ、Big Houseといった看板が。ああ懐かしい。
 
 で、石巻市に入り、いよいよ大川小学校へ。崩れ落ちた(元)校舎の横に、犠牲となった大勢の方の名が刻まれた慰霊碑が建立されている。この場に立って泣かない者は人間ではない。私も心の中で大声を張り上げて泣いた。
  
 
 
 あの日、文字通り未曽有の大災害が東北を襲った。我々は取り返しのつかない多くのものを失った。
 
 しかし、花は咲く。日本人として、半分東北の血が流れている人間として*1、そのためにできることをしていこうと誓いを新たにした。
 *下の動画はYouTubeでのみ再生可能のようです。一度クリックするとその旨のメッセージが出ますので、左上のタイトル部分をクリックしてYouTubeに飛んでください
  
 
 大川小学校を後にして、向かったのは南三陸町。目的は、南三陸さんさん商店街(こちら)で力一杯海鮮を食すこと。
 入ったのは田中前さん。カウンターに座り、大将と話しをしていたら、彼は大学が京都だった(龍大)とのこと。海鮮丼をいただいたが、ウニが絶品(バブル時に食った美国のウニを彷彿とさせた)で、アワビもスゴイ。形容のしようがないほど美味かった。
 
 石巻から雨の中を走って来たのだが、道中海抜の低いところに残っていたのは、例の防災対策庁舎跡を除くと、家の土台(基礎)だけである。今さらながら、とんでもない津波が押し寄せたものである(写真はネット上から)。
 
 
 さんさん商店街は、全てのお店がプレハブで、まさに“仮設”なのであって、働く人の明るい笑顔とのギャップにグッとくる。頑張ってくださいというフレーズを飲み込んで、また来ますと約束してきた。写真は大将と海鮮丼。繰り返すが美味かった。
  
 
 
 大川小学校で見た校歌の碑に「むねを張れ 大川小学生」という一節があった。被災された方におかれては、是非胸を張って、前に進んでほしいと思ったことである。
 
 帰途、最後の休憩でややお疲れ気味のオレンジ号を撮影。彼が我が家に来たのは、あの日の9日後である。
 

*1:母の両親は宮城と岩手の出である